真鍋かをりさんと小島慶子さんの記事を読んだ。
今日、日経DUALに載ってた真鍋かをりさんの
‟大人になりADHD傾向目立たなくなった” という記事を読みました。
続いて、小島慶子さんの
‟40過ぎてADHDと診断され自分知った” というのも読みました。
最近ではよく耳にする発達障害という言葉。
いろんなタイプがあるけど、それなりにみんな生きてるんだよね。
個性ですむ人もいれば、周りから問題視される人もいる。
他人と関わらないとなかなか生きていけないから、難しいところもあります。
私もちょぃと変わってるな~って思うところがあるので
引っかけようと思えば診断がつくんだとは思う。
そういう私から生まれた娘ちゃんも、変わってるな~~って思うところがあるので
特徴は違ってても、やはり何かあるんだとは思う。
でも結局、私たち、それなりに生きている。
周りの人は娘ちゃんのことを、
頭がいい、とか、賢い、とか言う。
でも特に私としては頭がいいとは思わない。普通です。(娘よゴメンw)
勉強してる量が他の子と違って、たくさんしてるからその分、頭がいいだけ。
私は娘ちゃんを育てていて、
苦手だなって思うところは特に伸ばそうとしていない。
たとえば、走るのがめちゃ遅い。でも走る練習なんてしたことがない。
目が弱視で遠近感がないため、ボール遊びも苦手。ボールがキャッチできない。
でもボール遊びを必死にさせたこともない。
大人になって、ボール使うことなんてないし、走ることもないし。
マラソン大会なんて、
「途中でやめるのだけはダメ。歩いてもいいし最下位でもいい。でもゴールはしたほうがいいと思うよ。」
と声かけする。
別にマラソン大会で頑張ったって、特別な速さじゃなければ20位だって50位だって、最下位だって一緒。
最初からやる気がないのは先生に怒られるだろうけど、
一生懸命走って最下位なら、それでいいんじゃないかと思う。
だって、通信簿だって成績順じゃない時代。達成できたかどうかで評価されるから、
娘は3段階(よくできた・できた・努力が必要)で真ん中の できた ばっかり。
よくできた、なんて数個です。
なので、それなりでいいんだと思うようにしています。
でも自転車は本人が乗りたいと言ったので練習した。田舎だから自転車がないときついし。
自転車の練習も時間かかった。今(現在5年生)だってハンドルが左右にフラフラ。
下向いて運転してるから前からの障害物に気づかない。
歌を歌いながら乗り、自分の世界に入ってるので後方の車にも気づかない。
慣れた道しか通ってないから何とかなってるけど、
さぁどうなるんだろう。
勉強は小さいうちからたくさんさせた。
こどもちゃれんじから始まり、進研ゼミ、Z会、学習塾、英語塾と、
たくさんさせている。
学習能力は中の上だと感じている。他人と比べ特に劣ったとは思わないので
勉強をさせることにした。
勉強したら、他人から一目置かれると思ったから。
少々運動神経が悪くても、勉強ができれば何とか過ごせるのでは、と思ったから。
おかげで現在、有難いことに頭がいいねと言われ、本人も満足している。
周りの人は表面だけしか見ない。
小学生のうちはちょっと生活や友達関係でトラブルがおきることもあるだろうけど
高校や大学になると、頭がいいと得。
周りとの関係性も、レベルの低い学校でなければそれなりに生きていける。
だから勉強はさせている。少しレベルの高い学校を目指している。
そのほうが、みんな他事に気が回らないからイジメも少ないと判断。
私の経験上、暇な職場ほど、他人の悪口、私語が多く、人間関係がこじれやすい。
だからわざと勉強させている。そういうことなんです。
私のやり方は正しいとは思いません。
過干渉かもしれません。
でもそれなりの基礎というか基盤というか、を自分で作れないなら
それくらいは私が手助けしてみてもいいかな、と思ったんです。
自分で『自分進む道』なんて、娘ちゃんには考えられないと思ったんですよね。
ある程度の年齢がきたら、そこから先は自分で考えるでしょう。
それまでの基礎作りです。
でも心の奥底で思ってはいるんですよ。
めちゃめちゃ足が速かったら大会にでも出られるし、
それだけでいいトコ就職できる!
・・・でも無理なんですもん~~~~。
なかなかうまくはいきません。
でもこの発達障害の記事をみると、ついつい読んでしまいます。
理解ある世の中になってほしいなぁ。